Arts de la table
カテゴリ:アート( 19 )
西元祐貴ライブ パフォーマンス(岩田屋本店)
書道をなさっている方でしたら、どなたでもご存知の

書家にして陶墨家の西本 祐貴さんが福岡岩田屋でライブパフォーマンスをなさいます。

西本さんの展覧会は来年そうそう福岡アジア美術館で開かれます。
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西元さんのプロフィール
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彼の作品はあのロンドンのオークション、

クリスタィーズでオークションにかけられたりもするそうです😍

先行で人数限定で
岩田屋本館のバンケットルームで、西もとさんの臨場感溢れるライブパフォーマンスを身近に見ていただけます。
拝見するだけでも運気が上がりそうですね。

詳細は

日時
11月11日土曜日15時から20分程度

場所
岩田屋本館バンケットルーム

申し込み
092-734-4971(岩田屋担当バイヤー席)
小川聖史


私も参加しますので、皆様も是非ご一緒しましょう。

by artstable67 | 2017-11-05 23:55 | アート | Trackback | Comments(0)
丸亀市猪熊玄一郎美術館(香川県丸亀市)
香川県丸亀市JR丸亀駅前にある「猪熊玄一郎美術館」へ。
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丸亀市は父の生家があり、私も結婚前の本籍は丸亀市であった為、

縁の深い場所なのです。

今回は父のお伴でやって参りました。

のどかな鄙の駅前に、突如として現れるモダンな建物。

香川県出身の画家「猪熊玄一郎」をご存知ですか?

高松市生まれですが、丸亀市で少年時代を過ごした画家で、丸亀市に作品1000点を寄

贈。

その作品群を元に作られた美術館です。

google で検索すると「昭和期の洋画家」と出てきますが、それでは収まりきれない多

彩な芸術的才能を発揮した画家だということがここを訪れるとわかります。

常設展は季節ごとに入れ替えられるようですが、この時期はパリ留学をへてニューヨー

クへ行った頃のものを中心に展示してありました。

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猪熊玄一郎・・50歳を超えた頃からの作品・・

具象画は影を潜め、抽象画ばかりです。

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元々、抽象画家であったわけでなく、父の母校旧制丸亀中学校(現香川県立丸亀高校)

には彼の描いた「妙義山」の具象画があったそうです。

彼はデザイナーやイラストレーターとしての才能もあり・・
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三越の包装紙も彼のデザインなんですよ💗

(知らなかった)

次の展示室に行くと三越の包装紙や雑誌の表紙のイラストなどが展示してあります。

この展示の仕方・・

それ自体がアートです。
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こちらはシーズンものの三越の包装紙
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全く、古さを感じさせない色彩とデザインです。

こちらは・・まるでマリメッコのプリントみたい・・

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こちらは雑誌の挿絵。
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猪熊玄一郎自画像。
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この美術館で一番好きな彼の作品は、絵画でなくこちらのオブジェ。
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「GETA」と言う作品。
アクリルの円柱に何が浮かんでいるかといいますと・・

アクリルの「下駄」です。

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このオブジェ(モニュメント)は小さい頃に流された下駄を追って土器川で溺れたところを助けてくれた命の恩人の通りがかりのおじさんに捧げられたものだとか。

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常設展以外の企画展も観覧しました。

新進気鋭のモダンアーティスト 金氏撤平の「メルカトルのメンブレン」

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「メルカトルのメンブレン」の展示は・・美術館内に留まらず・・

丸亀市のあちこちに見られました。

例えば・・

午前中に訪れた丸亀城の天守閣の中にも金氏徹平氏のアートが見る事が出来ます。

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また、金氏 撤平本人による

子供向けのワークショップも休日や祝日に開催されていました。

「丸亀市猪熊玄一郎美術館」

建物のモダンさのみならず、展示や企画にまでキュレーターの並々ならぬセンスと技量

にとても感動しました。

小さな町ならではの街全体を巻き込んでの展示も「アート県(はたまたうどん県)」として名を馳せ、

「ベネッセアートサイト直島」で日本のみならず世界中から注目される香川県の気概

を感じさせます。

この「猪熊玄一郎美術館」のクオリティーの高さからも県内の他の美術館の素晴らしさ

が慮れます。

折しも、3年に一度の「瀬戸内国際芸術祭2016」が開催中でした。

今回は時間がとれずに行く事が叶いませんでしたが、

3年後は必ず訪れたい・・と思いました。

「アート県・うどん県」として県のブランディングに見事成功した香川県ですが、

その勝因は「田舎だから此の程度の芸術しか理解されないだろう・・」

として中途半端なアートではなく、

「世界中が注目する一流のそして誰も見た事がないアート」

という企画者の気概にあったのでは・・と思いました。

(この姿勢は見習いたいです。)

さて・・

丸亀城・


天守閣は小さいのですが、ここまで上ってくるまでの坂道は・・

84歳の父にはなかなか急です・・

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日本で残存するもっとも高い城壁とか・・

あまり急できつくて途中で後ろを振り返ってしまう・・という「見返り坂」

を上っていきます。

段々、景色もよくなってきます。



「昔は軽々と走って上ったり降りたりしていたのに・・こんなにきつかったとは・・」

とつぶやく父と私を・・

「こんにちは〜」
と・・

下から上って来たどんぐり拾いに来た幼稚園児の集団があっという間に追い越していきました。



あら、もうあんな上に・・
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ようやく天守閣へ。

天守閣からの眺め。

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私達を追い越していった子供達の軽々とした足取りに・・

幼い頃の父が・・


軽々と丸亀城を上っている姿を見た気がしました・・


浮遊する 幼き日々のイメージ 

ちょうど「GETA」のように・・

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この円柱の中に

私達は何度でも 自らの幼き日々を発見する。

by artstable67 | 2016-11-11 17:01 | アート | Trackback | Comments(0)
ボルゲーゼ美術館(ローマ)
夏休みにローマの「ボルゲーゼ美術館」を訪れました。

ローマの北ピンチョの丘に広がる公園にある
プライベートコレクションの王といわれる
美術館です。


カプリ島を後にして、ナポリから列車で1時間半ローマへ。

宿泊先について慌ただしく昼食を済ませ・・
ガイドさんと待ち合わせているボルゲーゼ美術館前へ急ぎます。

今回は「ローマ公認ガイド(日本人)」をプライベートでお願いしました。

ローマ公認ガイドの試験は非常に難しく、しかもローマ県が人数を調整していて、
欠員が出たときのみにしか募集を行わないそうで、
さらに日本人で・・
というと数えられるほどしかいないそうです。

今回の旅行ではローマ滞在の2日間にわたって、ローマ公認ガイドのYさんにアテンドして頂きました。

一日目はボールゲーゼ美術館とサンタ・マリア・デル・ポポロ教会さらにトレビの泉まで。
ニ日目はバルベリーニ絵画館から、パンテオン、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会、ナヴォーナ広場まで。

移動の途中もずっと私達のペース歩きながら立ち止まりながら、歴史や美術についてお話し頂き、
真夏のローマは砂漠のように暑く、アフリカから運ばれてくる砂に苦しめられた2日間ではありましたが、
このローマ公認ガイドのYさんのおかげで、
(その歴史と美術の知識の深さに感動しつつ・・)
2回目のローマ旅行でようやくローマという街の全体が見えて来た気がしました。

そんなYさんのガイドで巡った「ボルゲーゼ美術館」について、

まず、ボルゲーゼ一族についてとこちらのコレクションの収集、散逸、現状などについて、
次に「ボルゲーゼ美術館」の数あるコレクションの中から。
ベルニーニの彫刻・カラヴァジオ・ドメニキーノ・ジョルジオ−ネ
さらにこちらの美術館を代表するティツィアーノの作品について書きたいと思います。


ボルゲーゼ家はシエナの出身。
領主の出身ではなく官僚の家系で1200年代にはシエナの法学者として名をなしていたとか。
ボルゲーゼ家の最初の著名な人物はマルカントニオ1世。
シエナ共和国の大使としてローマに赴任。
生涯のほとんどをローマで過ごします。
聖職者ではないにも関らず枢機卿会議直属の弁護士に任命され、のちにはローマの行政官も努めます。
1548年にローマの古い貴族アスタッリ家の娘フラミニアと結婚。
これによりボルゲーゼ家はローマの貴族に仲間入りします。

息子のカミッラは順調に出世し、枢機卿、スペイン法王特使、ローマの大司教を務めた後、1605年ローマ教皇パウルス5世となります。

こちらがパウルス5世。
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そしてこのパウルス5世のお気に入りの甥っ子のシピオーネ・ボルゲーゼを枢機卿にします。
シピオーネ枢機卿が
ローマ近郊に9.5haもの広大な
葡萄畑を購入して、壮大な「ヴィラ・ボルゲーゼ」を築きまた美術品コレクションを収集しました。


こちらがシピオーネ・ボルゲーゼの彫像。
これは彫刻家ベルニーニにシピオーネが作らせたものです。

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シピオーネ枢機卿は優れた芸術審美眼を持ち、また美術品に対する執着も並大抵のものではなく、貴重な作品の入手には手段を選びませんでした。

こちらはかのラファエロの「キリストの埋葬」
もともとはペルージャの聖フランチェスコ教会にあったもの。
こちらを寄越すよう申し立てるも断られても諦めず、
バリオーニ礼拝堂から宵闇に紛れて持ち出させ、
のちに教皇パウルス5世が精巧な模写を送らせて教会を黙らせたというもの。
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それからこちらはドメニキーノの「ディアナの狩り」
こちらもまだドメニキーノの手元にある時にシピオーネ枢機卿が大変気に入って、
差し出すようにいうも、
ドメニキーノから
「これは依頼者がいるものなので・・」
と断ると・
ドメニキーノを3日間穴に閉じ込め、無理やりイエスと言わせわがものにしたとか。
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他にもかカラヴァジオの初期の作品をよこすように、カラヴァジオの師匠にいうも断られると、その師匠をあらぬ咎で逮捕してその間に手に入れたり・・

その手段を選ばない美術品収集に対する執着は異常なほど・・でもその審美眼は確かなもので素晴らしいコレクションを築きました。
ヴィラの建物の内装も新古典主義様式に後期バロックの様式を控えめに加えた調和のとれた美しいものです。

枢機卿はコレクションが散財する事を恐れて、
1633年にそれらを信託寄贈指定にしました。

しかし1797年のフランス革命中、その信託は無効になります。

ナポレオン・ボナパルトが教皇領に侵略し、教皇
ピウス6世はトレンティ−ノ条約で領地の割譲と賠償金、美術品の譲渡などの条件をのむ事になります。
それにより「ラオコーン」や「踞るヴィーナス」とともにボルゲーゼ家の貴重な絵画もたくさんフランスに持ち去らました。

(その持ち去られたコレクションの中には上に紹介したシピオーネが手段を選ばず手に入れた、ラファエロの「キリストの埋葬」とドメニキーノの「ディアナの狩り」もあったというので皮肉なものです。最も、此の2点も神聖同盟により再びボルゲーゼ家に戻ってきます。)

ご存知の通り、「ラオコーン」と「踞るヴィーナス」は1815年のワーテルローの戦いにフランスが敗れると神聖同盟により再びローマに戻されます。

さらにマヌカントニオ4世の息子カミッロ・ボルゲーゼは元ジャコバン主義者でナポレオンの妹パオリーナ・ボナパルテと結婚した後、
ボルゲーゼ家の考古学的コレクション344点をナポレオンに譲るように強要されます。
これらのコレクションは現在ルーブル美術館で「ボルゲーゼ・コレクション」として見る事が出来ます。

シピオーネ枢機卿の願いもむなしく一部は散逸してしまったコレクションではありますが、1816年に教皇ピウス7世により再び信託遺贈指定が認可されます。

さらに感動的なのは・・
1892年のロマーナ銀行の倒産によって被害を被ったボルゲーゼ家は
20世紀になっても間もない1902年にヴィラ・ボルゲーゼとその美術館コレクションと広大な敷地をわずか360万リラで国に譲渡します。

このことがなぜ感動的かと言いますと・・
美術コレクションを一点づつオークションにかけて売却した方が遥かに収入になったからなのです。

例えば
こちらはボルゲーゼ美術館のコレクションの代名詞にもなっている
ティツィアーノ・ヴェチェリオの
「聖愛と俗愛」
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1899年に銀行家のロスチャイルドが此の絵1点に400万リラの値を付けました!

敷地を含むすべてのコレクションを360万で国に売却したボルゲーゼの決断は、
コレクションの散逸を恐れたシピオーネ枢機卿の意志を尊重した英断として讃えられるべきものです。
(なかなか出来ない事です!!)

さて前置きが長くなりましたが・・

ボルゲーゼ美術館とそのコレクションの話しに戻ります。

美術館に入って直ぐの玄関大広間のフレスコ画。
「まず此の空間を味わってください・・」とYさんに言われます。
この様に天井画が空に果てしなく突き抜けているフレスコ画はシスティーナ礼拝堂などであたりまえに目にするものですが、これを「吹き抜け型」といい、
この様式を初めて採用したのは次の日に訪れるバルベリーニ絵画館の天井画だといいます。
ボルゲーゼ家の天井画は神話を題材にしたものですが、こちらもユピテルが中央に見られます。
マルカントニオ4世が息子のカミッロの誕生日を祝ってのユピテルとロムルスの下にガリア人と
戦うカミッロをシチリアの画家マリアーノ・ロッシに描かせたものです。
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そしてこちらは床にはめ込まれた4世紀のモザイク画。
健闘士と野獣の戦いの場面です。
仮面を付けているのが地方から連れて来られた奴隷ですよ・・
とYさんが説明しているところです。

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次は壷の間・・
しかしこの部屋にあった壷はすべてナポレオンによってフランスに持ち去られ現在はルーブル美術館所蔵です。
(天井画は絵画に度々使用されるギリシャ神話の場面「パリスの審判」)
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そして、皮肉な事に壷の代りにこの部屋の真ん中で
艶然と横たわるのは
ナポレオンの妹「パオリーナ・ボルゲーゼ」

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この彫刻のごとく大変美しい女性であったそうですが当時、高貴な女性が裸で表現されるとは有り得ない事だったとか・・
そのパオリーナにローマの貴族の夫人達が
「恥ずかしくなかったの?」と尋ねたところ、
「風邪は引かなかったわ〜」と軽くあしらったとか。
(さすがナポレオンの妹です)
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しかも此の像、台座に機械が組み込まれていて、くるくる回転する仕掛けになっているとか。
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後ろから鑑賞しても完璧に美しいパオリーナ・ボルゲーゼの彫刻はアントニオ・カノーヴァによるものです。


続く太陽の間からはベルニーニの作品が続きます。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの作品は美術館だけでなく、ローマの街の至る所に見る事が出来ます。

ナヴォーナ広場
サンピエトロ大聖堂の「大天蓋」
そしてサンピエトロ広場の設計もベルニーニによるものです。
ベルニーニによってローマはバロック芸術で匂い立つような華麗な「聖都」に変貌を遂げます。

ベエルニーニを見いだしたのがシピオーネ枢機卿。
彼はベルニーニの類いまれな才能を見抜き、この時代のミケランジェロにしたいと
考えます。
また、次の教皇バルベリーニ家出身のウルバヌス八世にも気に入られ、
「巡礼の道」を作る計画に抜擢されます。

先日のカラヴァジオ展のレポのときも書きましたが、宗教改革の後カトリックの権威を取り戻す為にカラヴァジオとともに時代に必要とされた芸術家であったといえます。
(余談ですがボルゲーゼ家とバルベリーニ家は仲が良かったとか。どちらも希有の審美眼を持つ美術コレクターであったことから、美術友?だったのでは・・とは私見ですが・・)
ボルゲーゼ美術館を訪れた、鑑賞者が最初に目にするベルニーニの作品が
「ダヴィデ」
体を力いっぱいひねって敵の巨人ゴリアテを討とうとする瞬間です。

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後ろにも回って鑑賞します。
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「ダヴィデ」像といえばフィレンツェのアカデミア美術館所蔵のミケランジェロの「ダヴィデ」が有名ですよね。

こちらがミケランジェロのダヴィデ像。(アカデミア美術館・フィレンツェ)
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ミケランジェロのダヴィデ像が勝利の表現を重んじたのに対して、ベルニーニが肉体の躍動感の表現に重点をおいているのがわかります。


そして発表されるやいなや大評判になり、人々がこれを見る為に押し寄せたという・・
「アポロンとダフネ」


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こちらは古代ローマの詩人オウィディウスの物語を典拠としています。
キューピッドは恋を掻き立てる黄金の矢をアポロに、恋を消す鉛の矢をダフネに射たとか。
それゆえアポロはダフネを追いかけますが、ダフネはアポロのものになるのを拒んで月桂樹に変身してしまいます。
そのまさにダフネが月桂樹に変身する瞬間を表現したものです。

ダフネの手や髪が木に変身していっている描写と躍動感を大理石像の周りをくるくる回りながら・・鑑賞します。

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「技巧の奇跡」とはよく表現したもので、ベルニーニの想像力の豊かさと表現力
の素晴らしさにただただ溜息しかでません。


次のベルニーニの作品は「プロセルピナの略奪」
こちらもオウィディウスの「変身譜」を典拠とするものです。
冥界の王プルトンが見初めた穀物の女神ケレスの娘プロセルピナを奪い去る場面です。

これも実際に見るととても躍動感のある作品なのです。

こちらから見ると軽々と抱えられているように見えますが、

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後ろから見るとプロセルピナがプルトンの顔を強く押しているのがわかります。
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そしてプルトンの足下には冥界の守り神の三頭の首を持つ犬が・・
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写真で見るとわかりにくいのですが、プロセルピナの涙が流れ落ちているのが印象的で
、鑑賞者も略奪の瞬間を目撃したかのようなドラマチックさは「アポロンとダフネ」も同じです。
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そしてこれはベルニーニがまだ20歳位の初期の作品。
天才の片鱗は伺わせていますが、円熟期の作品に比べると躍動感にかけます。

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ベルニーニの晩年の作品「真実」です。
このころになると、彼を引き立ててくれていたウルバヌス八世も教皇の地位を退きめっきり仕事が減っていったそうです。
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研摩された部分と未完成の部分のコントラストが際立ちミケランジェロ的な要素を感じさせる作品との評価がなされています。

研磨された部分と未完成の部分のコントラストといえば、ミケランジェロの遺作となったミラノのスフォルツア美術館にある「ロンダニーニのピエタ」を思い起こします。


ミケランジェロの遺作のロンダニーニのピエタ。
(スフォルツア美術館・ミラノ)

ミケランジェロといえばサンピエトロ寺院にあるピエタがつとに有名ですが

こちらのピエタは正面から見るとマリアがイエスを抱えているように見えますが

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後ろに回ってみると(その写真はありませんが)
イエスがマリアを背負っているように見えるのです。

サンピエトロ寺院のマリアはまるでイエスの恋人のような瑞々しい若さと美しさを湛えた理想的女性としてのマリア。
そしてロンダニーニのピエタのマリアは年老いて
死してなおイエスが背負わねばならぬほどの生身の老婆のマリア。

ミラノの「最後の晩餐」と同じ位感激した「ロンダニーニのピエタ」

ミラノを訪れる事があれば皆様ぜひこちらもご覧くださいね。
スフォルツア美術館はスフォルツア城の中にありこのスフォルツア城もなかなか見学が楽しいのですよ。

絵画は好きで、ある程度見方も(偏見はあるかもしれませんが)
自分なりにはあったのですが、
大理石像などの彫刻の見方が皆目わからなかったのです。

その話をガイドのYさんに話すと「彫刻は運ぶ事ができないから日本の展覧会で目にする事がないからでしょう。」
といわれ・・
「なるほど・・そうであった。」
と納得したのでした。
ボルゲーゼ美術館の彫刻をYさんのガイドで鑑賞する事により、ミラノやフィレンツェで見て来た大理石像のばらばらな知識が整理され、
「彫刻の見方・・楽しみ方」がわかってきたのでした。


さて・・ボルゲーゼ美術館に話しを戻します。

こちらは・・
エジプトの間。
2世紀中頃の黒大理石像である「黒大理石のイシス」が壁面真ん中に見えます。
此の部屋はこれ以降のローマのエジプトの間のお手本になったそうです。

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そのエジプトの間の天井画は
(真ん中)ギザのスフィンクスと
女神キュベレとナイル河とその息子たち(氾濫)が描かれています。
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1階部分は彫刻類の展示。
2階に上ると・・絵画のコレクションがあります。

ボルゲーゼ美術館を訪れた最大の目的はベルニーニとカラヴァジオのコレクションを見る事でした。

カラヴァジオについては私のブログでも「カラヴァジオ展」にて紹介していますのでここでは省きますがバロック絵画の先駆者と言われローマでは主要な教会を飾っただけでなく貴族達もこぞってカラヴァジオの絵画を注文したそうです。

こちらは「病める少年バッカス」
カラヴァジオ初期の作品です。
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「ゴリアテ(自画像)の首を持つダヴィデ」
このやる気のない表情はカラヴァジオがローマで殺人を犯して追放されて以降の作品であることが一目で見て取れます。
またゴリアテを討つダヴィデがミケランジェロとベルニーニの彫刻でも表現されていたように好んで用いられるモチーフであること、その同じモチーフですがカラヴァジオが描くと「斬首」という場面になってしまいます。
(斬首もカラヴァジオが繰り返し描いたモチーフです)
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「馬丁たちの聖母」
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「聖ヒエロニムス」
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「聖ヨハネ」
やる気のない表情はやはり晩年の作品。
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こちらは初期の作品の「果物かごを持つ少年」
晩年の作品と比べて生気があるのが見て取れます。
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実は・・
私達のローマのお宿の「Parazzo Ruspoli」はナポレオン三世が母オルテンシアと住んでいた屋敷を一般の宿泊者に開放しているものでした。
ホテルではなく貴族のお屋敷を間借りするだけですので、チェックインの後は完全な放置プレーでしたが・・
(チェックアウトも見送りなし。鍵はデスクにおいて帰りました。)
しかし・・
こちらの「Prazzo Ruspoli」なにが素晴らしいかと言いますと、
カラヴァジオの個人所蔵のコレクションが飾られているのです。

カラヴァジオの絵画と過ごすローマの夜・・
こちらがその絵画
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ガイドのYさんも「この作品は画集にも載っていない。初めて見たわ。」と大興奮されたのでした。

そのほかの特筆すべきボルゲーゼ美術館の絵画は


ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」
このポーズがレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」に酷似している事から
ラファエロがフィレンツェ在住時代にレオナルド・ダ・ヴィンチと接触があったことの根拠とも言われている作品です。
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それからブロンズィーノの「洗礼者ヨハネ」
ブロンズィ−ノはマニエリスムの画家です。
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ベルニーニの自画像
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そして前述しましたが、ボルゲーゼ美術館を代表する  ティツィアーノ・ヴェチェリオの「聖愛と俗愛」
ティツィアーノについても過去のブログで紹介しておりますのでここでは詳しくは書きませんが、ヴェネツィアを代表する画家なのですが、その絵画はヴェネチアの外交手段に用いられた為作品が国内外に散逸しており希少性がもともと高いのです。

しかもこの絵画はその寓意がいまだ解読されておらず、謎に満ちた作品であり、本来の作品の美しさもさることながら、またロスチャイルドが400万リラの高額な買い値をつけたことからもつとに有名な一枚です。
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こちらもティツィアーノの作品「アモールに目隠しするヴィーナス」
晩年の作品です。
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近くに寄ってみると輪郭がラフで荒い印象ですが離れてみると優美な作品です。
「素描のフィレンツェ、色彩のヴェネチア」と言われる所以です。



ボルゲーゼ美術館を後にして。。
広大なボルゲーゼ公園を歩きながら、
サンタ・マリア・ポポロ教会へ向かいました。
その目的はポポロ教会に飾られているカラヴァジオの「聖パウロの回心」を見る為です
カラヴァジオの最盛期の絵画は教会から注文された宗教画ですからやはり
教会であるべき場所でみると美術館で鑑賞するのとは違う感動があるのですとはガイドのYさんの弁。

ポポロ教会に面してポポロ広場がありその北側にポポロ門があります。

これはローマの凱旋門と言うべき重要な門で、ローマに巡礼に来た人々はまず此の門をくぐります。
古代ローマの時代にはフラミニア街道がアウレリアヌス城壁を通過するフラミニア門が建てられていた交通の要所でした。

ポポロ門を広場の外側からみたところ・・
あら見覚えのある紋章が・・
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この薬を意味する5つの球からなる紋章。
メディチ家の紋章です。
ポポロ門の外側は、教皇ピウス4世の命によりミケランジェロが手がけたもの。
ピウス4世はメディチの名を持ちますが、フィレンツェのメディチ家とは血縁関係にはなかったそうですが、ローマの入り口ともいうべきポポロ門の上にメディチ家の紋章を見つけたときは感慨深い思いでした。
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写真はありませんが、此の門の内側(広場側)はカソリックに改心したスウェーデンのカトリーナ女王を歓迎するためにアレクサンデル7世がベルニーニに装飾させたものです。門をくぐると広場の中心にオベリスクがあり、その向こうに三本の道が続いているのが見えます。
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左の道はスペイン広場に
真ん中の道はヴェネチア広場に
右の道はサン・ルイージ・フランチャージ教会やナヴォーナ広場に
左にポポロ教会
右に行けばヴァチカンに通じています。
ポポロ門はローマを訪れる人が最初にくぐる門であり、またポポロ教会は巡礼者が一番最初に訪れる重要な教会であったといいます。
その教会にカラヴァジオの宗教画があるということ・・
それがカラヴァジオがいかにカソリックにとってローマにとって重要な画家であったかということがわかります。

さらにこの日の夜子供達と夕食に出かけたレストランから宿泊先であるPrazzo Ruspoli(スペイン広場)に向かって歩き出すも、
夜のローマ・・
すっかり迷ってしまいました。

そうした時にヴェネチア広場に辿り着き・・
「あそうか、ではここからまっすぐ南に行くとポポロ門、右の道がスペイン広場に通じているのね」

古の巡礼者のようにポポロ門を見て再び道を見いだし歩きだしたとき、

ローマの歴史ある街を確かに自分たちの足で歩いているのだと言う感慨におそわれたのでした。

そのように重要なポポロ門ですが、ローマの宿泊先で貰った地図(上側)にはイラスト付きではっきりと記されており、
そこから放射線状に広がり続くローマ時代からの街道が見て取れます。

日本のガイドブックの地図(下側)にはさがさなければわかりません。
また見比べて頂くとヴェネチア広場も日本のガイドブックの地図には探さなければ目に入りません。
逆にスペイン広場はローマの地図には大きくは書かれていません。
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(上の地図)ローマの宿泊先で貰ったもの
(下の地図)日本のガイドブックに載っているもの

いずれも観光客の欲しい情報が載っている地図ではありますが、
その地図を見るにさえ・・
ローマはやはり幾層もの歴史の気の遠くなるような時代の積み重ねが書き込まれているのだと・・

現地の優秀なガイドさんの導きのもと現地を旅して、
更に自分たちの足で歩いて迷って、初めてわかる事なのでした。


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by artstable67 | 2016-10-31 02:54 | アート | Trackback(1) | Comments(0)
鳥獣戯画(九州国立博物館)
九州国立博物館で開催中の鳥獣戯画展を見てきました。

平日(水曜日)の朝一、ほとんど並ばず入館出来ました!

東京国立博物館ではピーク時は甲巻に行き着くまでも5時間待ちでした。
(実際私が行ったときも入館まで180分と書いてあり断念)


はりきって開館1時間前に到着したら、2番目でした。

開館時間にはさすがに列が出来ていましたが、混雑する感じではありません。

それでも、鳥獣戯画は長〜〜い、巻物。

皆さんがゆっくり見ていると、最前列で見ようとすれば列は出来てきます。


入館してすぐ、

かの有名な甲巻。

皆さんに、本物見て頂きたいので画像を載せませんが、
平安時代に書かれた甲乙巻
鎌倉時代に書かれた丙丁巻

すべて一度に見れますが・・

私的にはやはり


兎やカエルが戯れる甲巻が圧倒的に素晴らしいです!!
(もうこれだけ見て帰ってもいいくらい。)

実は鳥獣戯画がいつどのような経緯で高山寺に伝わったか
謎に包まれているのです。

しかし

縁起や解説もいらないくらい

とにかく

甲巻は

楽しい!

現代に生きる私たちが見ても思わず笑顔になるほどに楽しく生き生きとカエルや兎が
泳ぎや相撲に興じる姿を描いた、

絵画ヒエラルキー的には決して高位ではない風俗画ではありますが、

平安時代に生きる人々の感覚がとても身近に感じられる普遍性は

私たちを虜にしてやみません、

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でも、この展覧会の本当の主役は・・
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そう、高山寺の祖の明恵上人なのです。

そして、此の展覧会はイアホンガイドが(国立系の博物館にしては)

とっても楽しくてわかりやすいのです。

(是非借りてみてくださいね。明恵上人のファンになる事必至です💗)


明恵上人は幼い頃に父母を亡くし、

お釈迦様を父のように慕っていて、

2度まで真剣に天竺(インド)に渡る事を試みたのですが、

(和歌山にいた頃・・)

親戚の湯浅宗光の妻に

春日大社の春日大明神

が降臨して

「私はずっとあなたを護って来たのだから、天竺に行ってはだめ〜」と告げるのです。

明恵はものすごく落胆して、泣く泣く天竺行を諦めたとか・・

(見てください。宗光の妻を・・鴨居に座ってるわ〜〜)

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こちらが春日大明神
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こののち、春日大社を訪れた明恵上人を、

鹿達が(沢山いるでしょ。奈良に行ったら)

足を折リ揃えて、お迎えしたとか・・。

再びインド行きを計画して、計画書まで作るのですが、

高熱が出たりして断念。

彼の足跡をたどると

どれだけ天竺に行きたかったか・・

憧れていたか

すご〜〜く伝わってくるのです。

そしてお釈迦様が好きすぎて、

涅槃会を始めたのも明恵上人なんです。

さて・・

明恵上人は高徳の人であったのは間違いないのですが・・

彼の人間的な一面が伺えるのが、


唐に渡った(イケメン僧の)義湘と彼に恋をした唐の絶世の美女善妙の逸話を

大変気に入っており、


イケメン義湘の画を描かせたり、


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義湘と善妙の物語を絵巻物にさせて描かせたり・・

(こちらは善妙が義湘に告白して、義湘が困っているところ・・✨)
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さてこの恋物語の結末は・・

なんと唐を出航して新羅に向かう義湘の乗った船を追って、

海に身を投げる善妙💦
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善妙は龍に変身して、

嵐から船を守り、

義湘らを無事、新羅に送り届けた・・とか。

(ここでイアホンガイド曰く)

「善妙の恋が愛に変わった瞬間ですね・・
恋は下心と書きますからね〜。」

ですって。


(イアホンガイド、借りてくださいね💗)
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明恵上人がどれほど、この善妙に思い入れがあったと言いますと・・

彼女を神格化して像を造らせたり・・
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後に、女性を救助する駆け込み寺のようなものを作るのですが、

その建物にも「善妙院」と名付けたほど・・。

その執着ぶりに弟子の喜海が難色を示したら・・

「男女の愛のわからずして、御仏の愛も理解出来ないではないか・・」

と言ってのけたとか。



外にも、18歳から58歳まで「夢記」という夢日記をつけていて、

これがなかなか楽しいのです。

(800年後に夢日記を公然にさらされるなんて思わなかったでしょうね・・💦)


それはさておき、明恵上人は信仰もさることながら、学問文芸にも秀で、

後鳥羽上皇というパトロンのもと高山寺を与えられたのち、

高山寺は南宋や高麗から経典が集まり、さながら当時の仏教センターのようだったそうです。

南宋にわたった栄西(ようさいと読むそう)も

明恵上人と交流があり

南宋から持ち帰った茶の種を贈りました。

その茶の種が入っていたとされる「柿蔕茶入」
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茶の歴史では日本で最初に茶の木が植えられたのは

九州の背振山とありますが、

こちらでは高山寺が最初と記録されて、

高山寺の境内には「日本最古の茶園」の碑があります。

植えられたのと茶園は別の事なのでしょうね。

実際、茶の湯が文化として花開くのは京都ですから。
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大博通りから一本入った道沿いにある、聖福寺は母の実家の目の前なので、小さい頃よくその庭で遊びましたが、
この聖福寺、実は栄西が開祖しており

この庭にも茶の木が植えられたと記録があります。


栄西は南宋で、茶の文化と薬効に深く感心し、仏教と共に何とか日本に根付かせたいと願ったと思われます。

南宋から持ち帰った、青磁も展示してあります。


そんな茶に縁のある高山寺に因んで・・

お土産には

図録

便せんと封筒

煎茶

を購入しました。
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明恵上人は動物がたいそう好きで、動物の危機を察したりもできたそう。



晩年まで手元に置いていた犬の置物。

可愛い💗


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ご一緒したKさんは京都の高山寺まで行かれ、

この犬の置物のレプリカを購入されたそうです。

(今回は売っていません)

動物好きで女性にもちょっぴり興味があり、高徳ながらも人間的な明恵上人の元だからこそ

鳥獣戯画が辿り着いたのでしょうね・・。

明恵上人の純粋で情熱的な人柄に触れ、

彼のファンになる事待ちがいなしです!

展覧会の後半は混み合うことが予想されます。

平日の午前中にお早めにお出かけください。

東京の方も日帰りでいかがでしょう😊




by artstable67 | 2016-10-14 21:20 | アート | Trackback | Comments(0)
カラヴァッジョ展2016(国立西洋美術館)
4月の事ですが上野の国立西洋美術館でカラヴァッジョ展を見てきました。
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カラヴァッジョの本名はミケランジェロ・メリージ。
彼の出身がミラノの近くのカラヴァッジオ村の出身であった為、またかの有名なミケランジェロ・ブオナローティと区別するため、「カラヴァッジョ」と呼ばれます。

日本での知名度はまだまだですが・・イタリアの美術史では「バロック芸術の先駆者」とよばれていています。(日本で売っているイタリアの旅行ガイドブックにもそう書いてあります)

しかしそれは20世紀にはいって美術評論家が美術史を総括したときの評価です。

今回は主にカラヴァッジョを通して見えて来たローマのルネサンスそしてマニエリスム、バッロク芸術についてと展覧会の出品作品について少し、最後に20世紀の美術評論家の評価について書きたいと思います。

カラヴァッジョが生まれたのは1571年ミラノの近くのカラヴァッジオ村。
16世紀後半の美術の中心であるフィレンツェ・ローマ・ヴェネツィアではマニエリスムという、形式を重視した非現実的な様式(マニエラ)が流行していました。

あのヴァザーリがレオナルド・ダヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロら盛期ルネサンスの巨匠たちが完成させた古典的様式を普遍的美の前提として「美しい様式(ベルラ・マニエラ」といい、それを真似する様式としてこのような呼び名がつきました。
時期的には盛期ルネサンスとバロックの間と考えられます。
代表的な画家にはパルメジャニーノ、ティントレット、ブロンズィー丿、エル・グレコなどがいます。
マンネリズムの語源ともいわれ、否定的にとらえられますが、
美術評論家 若桑みどり氏は「マニエリスムの芸術論」でマニエリスムとは  ルネサンスにより失われたキリスト教的世界像・・_つまり古き中世が解体した
「危機の時代の文化」として不安と葛藤と矛盾の中で16世紀の人々が創造した「危機の芸術様式」としてその復権を唱えています。

カラヴァッジオが最初に修行に出たミラノではマニエリスムの影響はなく写実主義の伝統が息づいていました。
これが少なからずカラヴァッジョの後々の自然主義的な作風に影響を与えています。

それからなんのつてもなくローマへ。
様々な工房を渡り歩いてようやく当時のローマ画壇で売れっ子の画家カヴァリエール・ダルピーノの工房に入ります。
そこで花や静物画を描いていましたが、1年足らずで辞めています。
(ですがダルビーノはカラヴァッジョの才能を認めていたようでたくさん作品を持っていましたが、のちにボルゲーゼ美術館の基礎を作ったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿によって火縄銃の不当所持の嫌疑で逮捕されて、初期のカラヴァッジオ作品2点を含むそのコレクションを接収されてしまいます。目的の為には手段を選ばずの典型?)

やがて、カラヴァッジョは人生最大のパトロンフランチェスコ・デル・モンテ枢機卿に出会い、彼の邸宅 芸術家の集うマダマ宮殿へ移り住み傑作を生み出していきます。

彼がローマで公の場にデビューしたのは1599年にサン・ルイージ・フランチャージ聖堂コンタレッリ礼拝堂の両脇壁に聖マタイ伝のエピソード「聖マタイの召命」と「聖マタイの殉教」を描いた事によります。
それがこちら
「聖マタイの召命」
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「聖マタイの殉教」
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公開された両作品は大評判となり、一目見ようと人々が教会に殺到しそののちカラヴァッジョには作品依頼が殺到、またカラヴァジョの作品を持っている事は一種のステイタスにさえなりました。

さてカラヴァッジョがデヴューした1599年とは特別に意味を持ちます。
1600年はローマにとって25年に一度の聖年(ジュビレオ)であり、その年にローマに巡礼して7大教会でミサに参加すれば、全贖罪を得られるとうキャンペーンのもとおびただしい巡礼者をローマに集める事に成功したのです。
そのためイタリア戦争や宗教改革で一時的に停滞していたローマは聖年にむけて(プロテスタントへのアンチテーゼとしての)カトリック芸術を充実させる事で復興を試みそれは見事に成功したのです。
つまり、宗教が美術を求めた時代であり、
時代がそしてローマがカラバッジョの才能を待っていたと言えるでしょう。

フィレンツェは紛うことなきルネサンスの街といえるでしょうが、ローマはシスティ
−ナ礼拝堂はルネサンスの殿堂といっても過言ではないでしょうが、ローマの街はバロック芸術に溢れている・・と実際訪れて感じました。
ルネサンスはフィレンツェからはじまり、ローマ、そしてヴェネツィアへと広がりを見せていきますが、フィレンツェからローマへとルネサンス芸術の中心地が移っていったのも実は聖年によるものでした。
聖年には教皇や枢機卿や貴族達が多くの芸術家を招いて大規模な建設事業や装飾事業を行いました。
ルネサンス芸術の中心地がフィレンツェからローマに移ったのは1450年の教皇ニコラウス5世から1550年の教皇ユリウス3世の聖年にいたる数回の聖年によるものです。
その期間にトスカーナやウンブリアの優れた芸術家がローマに招かれ活躍したからにほかなりません。
しかしフィレンツェはいいものばかりをもたらした訳ではありません。
メディチ家出身の教皇レオ10世(ロレンツォの息子です)は散財を重ね、財政難に陥り、免罪符を発行したことはあまりにも有名ですよね・・
そこから宗教改革が起こります。
プロテスタントは教会を飾る宗教美術も偶像崇拝だとして、随分破壊させたそうです。

教皇レオ10世の残した負債は60万フィオリーノ(約720億円)!!
次のハドリアヌス6世の時代は緊縮財政でローマは一気に華やかさを失ったと言います。
そしてつぎもまたメディチ家出身の教皇クレメンス7世。
(彼は、パッツィ家の陰謀で殺されたイル・マニフィーコの弟のジュリアーノの息子です。)
クレメンス7世は最初は従兄弟のレオ10世の方針を踏襲し、神聖ローマ皇帝カール5世側についていましたが、フランス王フランソワ1世に勝利し、勢いに乗るカール5世のに脅威を感じて、フランス側と同盟を結んでしまいます・・
(これがいけなかった。)
これがカール5世の怒りを買って・・
カール5世はまずローマ貴族のコロンナ家をそそのかして反乱を起こさせ、教皇のいるヴァチカン宮殿をさんざん荒らさせ、クレメンス7世はサンタンジェロ城に避難してしまいます。
ここからがひどかった・・
翌1527年5月にドイツ傭兵団とスペイン軍からなる合計2万の強固な軍隊をローにさしむけ、傭兵の多くはカトリックを憎むプロテスタントであったため、長い戦いでお金も食料も底をついていた彼らは暴徒とかして略奪の限りを尽くして暴れ回りました。
これが歴史で言うところの
「ローマの略奪」です。
この略奪と虐殺でローマ市民の死者は8千人以上にのぼり、市内のあらゆる建物は破壊され、財宝は奪い取られます。
(事実上、ローマの略奪をもってローマのルネサンスは終焉します)
町にあふれていたルネサンスの香りはきっと壊され略奪されてしまったことでしょう。
このような略奪はカール5世の命じた事でも望んだ事でもなくのちのち大変後悔したと言います。
その事態を招いた張本人である教皇クレメンス7世は此の事態に何も出来ず半年以上もサンタンジェロ城に閉じこもっていたとか。
カール5世との交渉で莫大な賠償金(40万フィオリーノ・・約480億円)を払わされます。
メディチ家はローマにルネサンスをもたらし、一方ではそれを壊してしまったとは言い過ぎでしょうか。

それにしても、思うのはクレメンス7世の政治的センスのなさ・・
同時期のヴェネツィアがフランスやオスマントルコ、そして神聖ローマ皇帝カール5世に対して見事な外交手腕を発揮してうまくやっていたのとは何たる違いでしょう。
この時期のヴェネツィアの外交手段はやはり芸術家。
ベッリーニやティツィアーノなどの当代きっての画家をオスマントルコや神聖ローマ皇帝カール5世のもとへ派遣して彼らの肖像画を書かせてご機嫌を取っています。
カール5世のところにはティツィアーノを派遣し描かせたのがこちら・・
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カール5世というとこの肖像画が出てくるくらいに彼にとって代表的な肖像画になりました。
このようにティツィアーノは外交の駒としてあちこちに派遣されていたので、彼の作品は母国ヴェネツィアにはあまり残っていません。

話を戻しますと、ローマという街はルネサンスが花咲きながらも、宗教改革やローマの略奪によりその華やかさを失い、新しい芸術の担い手を必要としていた事・・
宗教改革へのアンチテーゼとしてのカトリック改革が1600年の聖年において新たな才能を必要としていた事・・
また、美術的には高踏的・衒学的なマニエリスムへのアンチテーゼとしての新しい様式を必要としていたこと(新しいスタイルとは自然主義的なスタイル・・後に言うところのバロック芸術)

カラバッジョはまさに時代に必要な存在として活躍しました。

1600年の聖年はカラバッジョの聖マタイ連作とカラヴァジョもその才能を認めていた
アンニーバレ・カラッチがファルネーゼ宮殿のガレリアに描いた天井画、その二つが新しい時代の幕開けを告げるものに成りました。

(しかし、享楽的なローマで居酒屋や売春宿に通い、常に刃物を携帯し暴力沙汰ばかりおこしていたカラヴァジョはしまいには殺人を犯しローマにいられなくなります。
カラヴァジョには常に暴力的なイメージがつきまといます。
そののちマルタ島やシチリア島、ナポリでの逃亡生活を経て、ついにローマに戻る事叶わずポルト・エルコレにて38歳の若さで亡くなります。生きていればもっと活躍したことでしょうに)

これだけの影響力をもった画家でしたので、彼の影響を受けた画家というのは当然いた訳ですが(カラバジェスキと呼ばれる人々です)カラヴァッジョは他の画家と違って工房を持っていなかったので、弟子というよりはそのスタイルに影響を受けた人々ということになります。
しかし、続く1625年の教皇ウルバヌス8世(彼はバルベリーニ家の出身です)の聖年ではランフランコがサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ聖堂のドームに「天国」を描き、盛期バロックの端緒をつげ、ベルニーニが教皇のお気に入りとなりサン・ピエトロ大聖堂に巨大なバルダッキーノを建設する頃に成ると、カラヴァジスキたちは次第にローマを離れ各地に散っていきます。

それでは・
4月の事なので記憶も薄れがちなのですが、
今回のカラヴァッジョ展で印象深かった3点を紹介します。

「バッカス」1595年・フィレンツェ・ウフィツィ美術館
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ほろ酔い加減で頬が上気した少年が帯を解こうとしている・・
何とも艶かしい一枚。
古代の酒神というより、バッカスに扮した少年という面持ち。
この果物などの静物の完璧な写実こそがカラヴァジョの真骨頂。
彼の描く少年がいつもあまりにも艶かしいので、カラヴァッジョは男色なのかと思ったのですが、その当時のローマは大変享楽的であり、男色というよりは(お気に入りの娼婦もいたので)性的に非常に自由な時代であった・・と考えるのが妥当に思えます。

「エマオの晩餐」1606年・ミラノ ブレラ美術館
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見た瞬間に深い感動を与える作品です。
真ん中に描かれている人がキリストだと何の説明もなく此の絵の前に立った観覧者がわかるところがすごい所だと思います。
こうやって写真で見ると光が左から指しているように見えますが、
絵の前に立つとキリスト本人が光を発しているような印象を受けるのです。
キリストのこの指の形は神性を表すとミラノで最後の晩餐を見た時に聞いたことはありますが、そのような知識は後付けにしかすぎません。
此の絵と同じ構図でロンドンのナショナル・ギャラリーにあるのがこちら。
(こちらが先に書かれています)
 
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見比べれば、解説書を引用するまでもなく、上の作品のほうが精神性の高い作品となっていることがわかります。

(以下カタログより引用)
最終的な作品は内在的となり
福音書の深い意味、つまり消えた後になってはじめてキリストが「心の目」によって認識出来たという事が示されている。


最後にこれまで個人の所蔵であり今回初めて公開されたという今回の展覧会の注目作品。

「法悦のマリア」ローマ・個人蔵
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涙を流しているので法悦というより「改悛のマグダラのマリア」ではないでしょうか?
カラヴァッジョがローマから逃亡し恩赦を願って描いた・・
とも言われています。
また、こちらの絵はオリジナルではないようでコピーをいくつも書いていたともいわれています。

3ヶ月もたつと作品に対する記憶があまり蘇ってきませんね・・
(早く書くべきでした)

さて、カラヴァッジョがはっきりとバロックの幕開けとして位置づけられたのは、20世紀に入ってから。

1951年のミラノ王宮での「カラヴァッジョとカラバジェスキ」という展覧会でロベルト・ロンギは
彼こそレンブラントの予兆としてバロックの先駆者として位置づけており
彼の描く光は救済を表している・・
救済のモチーフこそが彼の作品に共通するとしています。

1971年の「カラヴァジョの詩学におけるリアリズム」の中でのジュリオ・カルロ・アルガンの言葉を最後に・・


カラヴァジョのレアリズムは生の思想によるものではなく、死の思想による世界のヴィジョンに他ならない。
したがって、反自然的・反歴史的・反古典的であるが、かえって深く絶望的なまでに宗教的である・・



国立西洋美術館は金曜日は午後8時まで開館しています。
遅い時間は空いていて、お勧めです。
外に出ると真っ暗・・
散り際でしたが夜桜がとても綺麗でした・・

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by artstable67 | 2016-07-19 04:24 | アート | Trackback(1) | Comments(0)
IWATAYA ジャパンセンスィズ2
IWATAYAジャパンセンスィズのイベントへ行ってきました。
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日本の物作りに視点を置いたイベントで、
岩田屋新館六階ステージ6を中心に他の階でも様々な催事が行われています。

(私的に)一番の見所と言えば・・

上の写真、

アリタポーセリンラボさんと美しすぎる銅板作家小松 美羽さんとのコラボレーション写真上のショーケースの中の「狛犬 天地の守護神」

こちらと同じ2対の狛犬がなんと〜〜

ロンドンの大英博物館にも飾られているそうです。

大英博物館ですよ!
ロゼッタストーンが置いてある・・
世界三大博物館のひとつの・・

そのいきさつとは、こちらの写真・・
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これは「チェルシーフラワーショー2015」にて庭園デザイナー石原和幸さんの「江戸の庭」
です。
こちらがゴールドメダルを受賞すると。其所に飾られていた小松さんの作品である一対の狛犬が多くの人々を魅了しました。

(さて上の写真のどこに狛犬が隠れているかわかりますか?)

するとそれが大英博物館の学芸員の目に留まり、永久保存される事に・・

現存する作家さんの作品が大英博物館に陳列されることは稀だそう・・

凄いですね〜

詳しい情報は
こちらの「ジャパンセンシィズ」のパンフレットをご覧くださいね。
此の写真に写っているのは大英博物館に所属されている狛犬です。
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カタログは
売り場にも置いてあります。

(実は此のカタログをデザインされた方は私の名刺のデザイナーさんでもあります。

私の愛してやまない街フィレンツェのとあるお店のショップカードや私の世界観までをとことんお話ししてそれを汲み取ってくださり、印刷会社の方にも無理を申し上げ、期待以上の物ができました。改めて感謝申し上げます。)

さて、話を本題に戻しますと・・

こちらが小松美羽さんの銅版画

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小松美羽さんのトークショーも予定されています。
ARITA POCERIN LAB
×
MIWA KOMATU
[狛犬 天地の守護獣]
サイン会&トークイベント
4月9日(土曜日)午後1時
新館7階バンケットルーム(限定30名様)
*「小松美羽画集「20代の軌跡」をご購入の方を対象。
*入場券を同日午前10時よりステージ6にて配布。
行かなきゃ〜〜

大好きなアリタポーセリンラボの製品も・・古い物もジャパンシリーズも一同に拝見する事ができます。。
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ジャパンシリーズが全色、拝見出来るのは全国の百貨店でもこの期間の岩田屋さんだけだそうです。

圧巻です。
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それから1616年に有田で初めて磁器を作った李参平の御子孫の方の作品も・・

白磁のみをずっと制作されているそうです。

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今日もアリタポーセリンラボの久家さんに磁器の土についてや小松さんの作品について色々お話しを伺えてとても楽しかったです。

ステージ6とっても楽しい催事場に変身していますよ💗

李参平さんとはお会い出来なかったので、また来週遊びに行こうかしら・・
どなたかご一緒しませんか?

因に期間は・・
3月30日〜4月12日(火曜日)
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by artstable67 | 2016-04-02 00:21 | アート | Trackback | Comments(0)
モネ展(福岡市美術館)
モネ展(福岡市美術館)へやっと行ってきました。
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近くていつでも行ける・・と思っていたら、終了間近・・。

「午後15:30頃が空いている・・昨日は混んでいたが今日は空いていた・・」

などの情報が錯綜するなか・・

「美術館は朝が命」のポリシーを貫くべく開館30分前からチケット売り場に並びました。
チケットは一番に購入出来ましたが、それでも混雑していたモネ展でした。


今回は「印象・日の出」そして「睡蓮」が評価されていくプロセスと2年前に訪れたジヴェルニーのモネの庭とパリのオーランジェリー美術館ついて書きたいと思います。

今回の展覧会の後半の見所は「印象・日の出」であったのですが、
今でこそ、西洋近代絵画のアイコンともいうべき此の作品、発表当時は人々の失笑を買ったのは有名な史実と言います・・
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「印象・日の出」モネ展 公式図録より

最初に此の絵画をモネから購入したのはエルンスト・オシュデ。
(彼の妻 アリス・オシュデがモネの2度目の妻だと言いますから因果なものです・・)
エルンスト・オシュデが破産してルーマニアの貴族出身で医者のジョルジュ・ド・ベリオが『印象・日の出」を競売で手に入れました。
ド・ベリオがなくなると一人娘のヴィクトリーヌと彼女と結婚していたドノ・ド・モンシーが他の印象派の絵画と一緒に「日の出」を譲り受けました。
このころには「サン・ラザール駅」と「テュエリー公園」は1900年に開催された「フランス美術の100年展」に出品され印象派の絵画が公的に認められたのですが、
「日の出」は必要とされませんでした。
モンシー夫妻は、モネの死後ド・ベリオ医師が決して手放さないと誓った「日の出」をなんとか世に出そうと画策し、
ようやく1937年にポール・ローゼンベルグ画廊に展示され、1937年にはワルシャワとプラハで開催されたフランス美術の傑作展に出品されます。
ようやく「印象・日の出」が日の目を見ましたね。
(印象派の至宝になるのはまだ先です)

さらに・・
モンシー夫妻は第2次世界大戦の勃発を受けて、
マルモッタン・美術館に「印象・日の出」を含む11点の印象派の絵画が含まれている作品群を守るべく急いで収めました。
さらにこれらのコレクションは戦火を逃れシャンボール城に、
同じく戦火を逃れたルーブル美術館のコレクションとともに移され保管され、無事に今日の私達が目にする事が出来るのです。

(北京の故宮美術館の美術品が戦火を逃れるべく、台湾の故宮美術館に移動されたように、美術品を守る美術愛好家の尽力あってこそ私達はマルモッタン美術館のコレクションを見る事が出来るのですね・・)


第2次世界大戦後、マルモッタン美術館のド・ベリオ=ドノ・ド・モンシー展示室の落成式が行われますが、開会の辞も「ヨーロッパ橋・サン・ラザール駅」を賞賛していますが「印象・日の出」には触れていません。

こちらが「ヨーロッパ橋・サンラザール駅」
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この展覧会の前期の展示画でした。


「印象・日の出」が至宝となるのは
『印象派神話の祖』といわれるアメリカ人ジョン・リウオルドの「印象派の歴史」(日本語訳が角川学芸出版から出ています)
を待たねばなりません。
その中で「至宝」としての「印象・日の出」のフランス国外持ち出しを禁じたのです。

これが「印象」日の出」が近代西洋絵画の「至宝」となるプロセスです。

「風景画」や「肖像画」は絵画ヒエラルキー的には下位に位置するため、
あのフェルメールの作品も「風俗画」とみなされ忘れ去られていた期間が長く、一人の美術史研究家に見いだされた事で「巨匠」となっていくのですが、、
フェルメールの絵画然り・・
モネの絵画然り・・
どうも美術館へ行く時は評価の定まったものを見て、何となく納得して帰ってきたりするものです。

ですが、今まで生きてきた中で(大袈裟な言い方ですが・・)
2回ほど、展示室に入るなり絵画全体から大気が動いているような強いエネルギーを・・
心の底に訴えてくるような物を感じ涙が止まらなかった経験が2度あります。

それは、3年前に訪れたロンドンのテート・ブリテンのターナーの部屋と2年前に訪れた、パリのオーランジェリー美術館の「睡蓮」の部屋です。

今回の「モネ展」にはオーランジェリー美術館に飾る「睡蓮」の試作画がたくさん展示されていましたね。
そして上野の国立西洋美術館の常設展にも実はモネの「睡蓮」は沢山展示してあります。
ですが、いずれを見てもオーランジェリー美術館の「睡蓮」の部屋を訪れた時のような

柳が風に揺れ、睡蓮が水の上をたゆたっているような・・

果てしない感じ・・深く心に訴えてくるような感じありませんでした。

オーランジェリー美術館の何が他の美術館や展示と違ったのでしょうか・・

その時の私の心理状態だったのでしょうか・・

私はオーランジェリー美術館の「睡蓮」の展示室の特殊な形状と展示の仕方に理由があると思っています。

オーランジェリー美術館へ展示する「睡蓮」を作成する頃白内障を患い、妻も長男も失ったモネは制作意欲を無くしてしまっていました。

また、ロダン美術館の敷地内に自分の絵を飾ってほしいというモネの願いも却下されたこともモチベーションを下げていた事の一因でした。

そんなモネを常に励まし続けたのは元首相のジョルジュ・クレマンソと義理の娘のブランシェであったと 原田マハ著「シヴェルニーの食卓」にも描かれています。

モネがこだわったのは展示室の形状です。
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第一展示室と第二展示室どちらも楕円形です。

第一展示室の作品は・・
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これらの横長い作品が楕円形の展示室の壁面をぐるっと囲んで展示されているのです。
第二展示室

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こちらには「睡蓮」と妻アリスと長男を亡くした失意のモネがいつまでもいつまでも眺めていたという「柳」が描かれています。

このオーランジェリー美術館を訪れる前にジヴェルニーのモネの家と庭を訪れました。
4月になってモネの家と庭は開園(冬の間は閉館しています)したばかりでしたが、
その年のパリは6年ぶりの大寒波で雪がちらつき氷点下の寒さでした。

モネの庭にも池にも花一輪咲いていよう筈もありません・・

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モネの庭と池と柳の木・・
左手にいる青いコートの後ろ姿は私です。

とにかく寒くて震えていてそそくさとカフェに入って暖かい飲み物と熱々のタルトタタンが美味しかった事を覚えています。

ジヴェルニーを後にし、そのままオーランジェリー美術館へ行きました。

(本当のことを言うと、あまり期待していなかったのです。
といいますのは、モネの睡蓮は有名すぎてどこでもコピーを目にして通俗的にさえ感じてしまっていましたので・・)
ですが・・
第一展示室に入ったとたん、空気が揺れているようなすべてが動いているような
風を感じました・・

水面は睡蓮のとともにたゆたい・・

柳から風が吹いてくるのです・・


自分は失意のままここへ来たつもりでしたが、実はそれはたいした事ではなく
・・そして実は持っていたのに気づいていなかった物に、ようやく気づいたのです。

名画は深く美しい気づきを与えてくれるものなのです・・

オーランジェリー美術館の「睡蓮」はすべてモネの死後展示された物ですがこちらも最初は不評でした。

当時の批評家達はこの作品群を「マイナーな装飾美術館」としてしまったのです。

1950年代にアメリカの抽象画家たちの関心を集め、決定的だったのはシュルレアリズムの画家アンドレ・マッソンのこの記述だったといいます。

オーランジェリー美術館の公式図録より少し長くなりますがその部分を全部引用します。
「クロード・モネという画家がヴェロネーゼやティエポロの領分であった明るく極彩色の広い画面を次第に好むようになって行くのをぼんやりと夢見る事が出来るかもしれない。だが、ここで夢から醒めよう。
そして彼の至高の作品の「睡蓮」について深く考えてみようではないか。
その記念碑的な大きさにも関らず、これらの絵はヴェネツィア派やフランドル派の巨大な装飾壁画とは何も似たところがない。
作者の精神は、あくまで「イーゼルの上の」絵を描いた偉大な画家の精神であると私には思われる。ただ、彼は、その上に、自分のヴィジョンにかなり広い〈かなり重要な〉視界を与え、世界を包んでしまおうと決意したに過ぎない。(宇宙と一緒になるには、水の鏡があれば十分である。)
宇宙のヴィジョンとむしろ言いたいところだ。もし此の言葉が、近頃、誰についてであろうと、何についてであろうと、やららに使われて、意味がずれてしまっていなかったなら。
比類の無い孤独な形象を想像したミケランジェロは、バチカンの礼拝堂が彼に想像力の中を天掛けながら、自己の全能を示すことを可能にしてくれる日を待った。それ故、私は、すごぶる真面目に、チュイルリーにあるオランジェリは印象主義のシスティナ礼拝堂である、と好んで言うのである。
パリの中心の人気のない場所に、あたかも近付き難いものとして聖別するかのように、オランジェリはひっそりと隠し持つ。
この偉大な傑作、フランスの天才の極みのひとつを。
アンドレ・マッソン  1952」

「オランジェリは印象主義のシスティナ礼拝堂だ」
(すごい喩えですね〜)
はつとに有名になり1952年にチューリッヒで大型の「睡蓮」の展覧会が開かれました。
また、パリではカティア・グラノフ画廊が展覧会を開きモネの「睡蓮」の再評価に重要な役割を果たしました。

モネはクレマンソとの往復書簡の中でも「楕円形の展示室」でなければならないと何度も強調しています。

モネは自分の作品の事をよく理解していたのでその普遍性や果てしない感じを観覧者に与えるには「楕円形」の展示室でなければなかったことを最後まで譲らなかったのでしょう。
さて、それはさておき・・
もし、誰かが私に・・
オランジェリ美術館のモネの展示室をもう一度訪れますか

と尋ねたら・・
答えは「No」です。

それは「一度見たから十分」なのではなく

(たとえ短い時間であっても)永遠とも言える至高の時間を味わったのでもう十分だ・・と思ったからです。

最後にマルセル・プルーストの「スワン家の方に」の中一節
モネの「睡蓮」へのオマージュを引用します・・

・・・(前略)ダンテの好奇心を煽り立てたあの哀われな人々、無窮の時の流れの中で永劫に繰り返す奇妙な苦悩に苛まれ、もしもダンテが足早に遠ざかるヴェルギリウスから(両親にせき立てられた僕みたいに)早く追いつくように促されなかったら、そのいきさつや、その訳を、もっと長々と語ってくれたに違いない、あの悠久の刑に処せられた不幸な人々の一人にも似た、これが睡蓮(ネニュファー)だった・・・・

(参考文献)
「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展 」公式図録
「ジヴェルニーの食卓」原田マハ 集英社
「オランジェリ美術館 クロード・モネの睡蓮」パリ・国立美術館連合刊
「オランジェリー美術館 見学ガイド日本語版」公式


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by artstable67 | 2016-02-20 00:24 | アート | Trackback(1) | Comments(0)
故宮博物院(黒釉兎毫茶箋と白茶)
3泊4日の台北滞在の中で2回故宮博物院を訪れました。
1日目はツアーで。
2日目はイアホンガイドを借りて対象を陶磁器だけに絞って見学しました。
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旅行前に、台北在住経験があり美術にも詳しい方に見所をお尋ねしたところ・・
「とにかく歴代の官窯の磁器作品を・・」
とアドバイス頂いていて2日目は陶磁器だけを見て回ったのですが、これが大正解でした。

短い滞在時間で故宮博物院の膨大なコレクションを見て回ることは不可能ですし、すべてのカテゴリーを見て回ってコレクションを俯瞰するのもいいのでしょうが、
見たいものを絞ってゆっくりと重点的に見る・・
すごくお勧めです・・

北宋の定窯の白磁
型によって細密に表された鳳凰文
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同じく北宋の「雨過天青」といわれた汝窯の青磁の透明なブルー・・・
「天青無紋楕円水仙盆」
これほど貫入(ひび割れ)の無いものは希有だとか・・
(下世話な話ですが、こちらは時価100億とも言われています)
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心の底まで見透かされそうな静謐な美しさをたたえる南宋の景徳鎮窯の白磁
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同じく南宋の龍泉窯の青磁・・
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明の青花のコバルトブルー
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明の宣徳時代の鮮やかな紅色の釉薬の紅釉磁器・・
この鮮やかな紅色の焼成は困難を極め希少なものだそう・・
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明の成化時代の時価40億ともいわれる
「豆彩花鳥文高足杯」
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等々・・
まさに希有の秘宝というに相応しいものばかりでしたが・・

今回は特にお茶との関係が深い宋の「黒釉兎毫茶箋」について書きたいと思います。

中国ではお茶は前漢の頃には四川省で商品化されていた記録がありますが、広く飲まれるようになったのは唐の時代だそうです。
遣唐使で栄忠が茶を持ち帰り嵯峨天皇に献じたそうですが定着せず、鎌倉時代の1191年に宋から帰国した栄西が筑前の背振山に茶を植えて、以後禅宗とともに喫茶の風習が広まって行ったことは皆様よくご存知の通りです。

北宋の時代にはお茶が大流行し「闘茶」というお茶の立て方と味を競う競技まであったと言います。
その時に用いられたのは「白茶」
雪のように白かった・・と記録がありますから、現在の白毫銀針などの産毛の生えた新芽の「白茶」とは違うと考えられます。
(人によっては現在の「白茶」と同じ・・と解釈なさる方もいらっしゃいます。〕
北宋の8代皇帝の徽宗は文人・画人として高い才能を示していたのですが、お茶をこよなく愛し、闘茶を好み、お茶の本「大観茶論」を記しています。
その中で「点茶の色は純白が最上級の色で青白・灰白・黄白がそれにつぐ」と記しています。
お茶が純白とは・・どのようなことをいうのでしょうか?
闘茶のときには匙でお茶を立てたと言います・・
粉茶のようなものを熱湯をいれ匙で混ぜてお茶の成分であるサポニンで泡がたち、その白さを競った・・・という説がありますが、それが一番妥当な気がします。
南宋の時代になると匙ではなく、ささらのようなものでお茶を立てて白さを競ったと言いまして、日本に伝来した茶道の源流は闘茶にある・・ともいわれています。
その「白茶」の純白を引き立てる為に作られた茶器が建窯の黒い釉薬のかかった茶器です。

こちら黒釉兎毫茶箋といい、白い筋が秋の兎の毛のようだと評され大変珍重されてきたものだそうです。
(館内もちろん撮影禁止、図録にも他の参考図書にも写真がなかったので似た感じのもの載せておりますが、故宮博物院にあるものとは異なります。
予め、お断り致します。
本物は遥かに逸品で白い筋が漆黒に美しく流れておりました・・)
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「大観茶論」には「箋(茶器)は兎毫箋がよい」と明記しており、福建省茶事の最高級品として珍重されたと言います。

闘茶はやがて茶の立て方や味を競うものから器の善し悪しを競うものに変わって行ったそうです。

建窯の黒釉の茶碗が日本に伝わって国宝として存在しています。

それがこちら  「曜変天目茶碗」です・・
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日本には
静嘉堂文庫蔵・藤田美術館蔵・大徳寺龍光院蔵
の3点のみしかありません
こちらは静嘉堂文庫蔵でもともとは徳川家のコレクションだったものです。
怪しいまでの美しさです・・

「曜天」も「天目」も日本での呼び方です。
「曜天天目茶碗」はあの膨大なコレクションをもつ故宮博物院にも1点も存在しません。
なぜなら、偶然現れた「曜変」の模様は中国では「窯変」といわれ不吉なことの前兆とされ、発見されるとすぐに割られてしまう運命にあったからです。
その運命を辛くも逃れ日本にたどり着いたのがこの3点の「曜変天目茶碗」ということになります。
「曜変」以外の「(黒釉)天目茶碗」は多数日本に輸出され大変珍重されています。

さて、かの「大観茶論」を記した北宋の第8代皇帝徽宗でありますが、自身も画人としての才能も素晴らしく、審美眼に優れており希有の数寄人であったといいます・・

上で紹介した北宋の汝窯の「天青無紋楕円水仙盆」も徽宗が「雨過天青雲破処」つまり磁器の理想の色として「雨上がり雲間から覗く青空」を表現するよう汝窯に命じて陶工らが苦難の末再現したものだそう・・
玉のような滑らかな質感と凝視するとわずかに見える気泡のあと・・
そして天の青と言われる翠がかった青・・
美しいという言葉では表現し尽くすことはできません・・

汝窯の青磁は60点くらいしか存在せずそのうち20点が故宮博物院にあります。
今回拝見出来たのは、2点ほど。
展示が変わる頃にまた訪れたいものです・・

さて徽宗は皇帝としての評価は低く・・
趣味に財産を費やすあまり、人民に重税を課し反感をかい、金族に攻められ北宋は滅びてしまうのです・・・。
徽宗の皇后を初め数えきれないほどいた!?側室や愛妾たちは一人残らず金族の後宮に入れられ、その後は高級娼婦にまで貶められ、そのあまりの辛さから自殺するものも後を絶たなかったとか・・

徽宗の残した超絶に美しい美術品の陰にはこのような残酷な歴史が隠されているのです。

評価が分かれるところではありますが・・
私はこのような逸脱した存在の皇帝無くして超絶な美も有り得なかったと思うのです。
超絶な美とはある意味残酷なものでありそれはお茶の歴史とて同じだからです。
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by artstable67 | 2016-01-06 00:21 | アート | Trackback(1) | Comments(0)
アムステルダム国立美術館
夏休みにアムステルダム国立美術館を訪れました。
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アムステルダム国立美術館は2004年からなんと改修に10年の月日をかけて昨年
再オープンしたばかり・・

世界中の美術愛好家がそのグランドオープンを待ち望んでいました。

何故そんなに改修に月日がかかってしまったのかはこれまた昨年公開された

ドキュメンタリー映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」

に記録されているそう・・

(公開される映画館も期間もとても限定されていたので未だ見ておらず・・)

そんな曰く付きで

しかもあのフェルメールの3作品やレンブラントの「夜警」が見れるとあって

こちらは今回の短いアムステルダムステイの中でも絶対行きたいスポットでした。

9時開館ですが、美術館は朝が命!

で8時半から並びました・・

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入り口は2カ所あり、こちらは予約券を持っていない観覧者用・・

まだ3人しか並んでいません。

最初の写真の美術館の建物の真ん中は歩道と車道そして自転車道になっており

自転車がすごいスピードで美術館の真下を突っ切って行きます・・

なんでも、改修が遅れた理由の一つに自転車っ子のアムステルダム人が

「こ〜んなところに美術館があったら自転車が通れな〜〜い!!」

と反対したからだとか・・

美術館の真下を十分にびゅ〜〜んびゅ〜〜ん突っ切って行かれていますが・・

午後にはヴェローナへ飛ぶため、とにかく時間がないので

開館と同時に


目指したのは2Fの

「名誉の間」
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こちらは1600年から1700年・・
いわゆるオランダが隆盛 をきわめたころの作品

が展示されているフロアーになります。

アムステルダム国立美術館は年代別に作品が

まとめられており、大変見やすいのです。

これも10年改修の賜物とか・・

このフロアーに入ってすぐ左手に・・

「ありました!」
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フェルメールの「牛乳を注ぐ女」

ちょっと感動です・・

想像していたより、ずっと満ち足りた表情に見える彼女・・

床に落ちている小さなパン屑や壁に刺さっている釘などが丁寧に描かれていて

彼女が牛乳注ぐ音が聞こえてきそうです。

この平凡な日常の一こまの空間に足を踏み入れたような錯覚を感じます・・



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こちらは「恋文」

おもっていたよりずっと小さな作品である上に、絵画のほとんどの部分が陰なので、

小さな二人の人物の様子をこっそり盗み見しているような気分になります。

最後に・・
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フェルメールが残した数少ない風景画の一つ「小路」

以下「アムステルダム国立美術館 公式ガイドより抜粋」

〈デルフトの家の眺望〉という名でも知られる本作品は、17世紀の絵画において異質な存在である。
フェルメールは特定な建物を書く代りに、場所の特徴を描かずに、無名な場所を取り上げている。
また、大都会の慌ただしい情景を描いた訳でもない。
本作品は、曇った日の静かな小径の印象をそのまま表現している。家の右側や規律真屋根の上部が絵の枠からはみだした構図を用いる事により、ありふれた情景という印象を強めている。一見しただけでは、この小路に働く人々に気がつかないかもしれないが、良く見ると、一人の女は戸口に腰掛け、裏庭に続く通路には女中が二人の子供が遊んでいる。崩れそうなアーチや建物正面にはっきり見受けられる修復箇所等のリアルなデティ−ルが、この場面の印象をより強くしている。
長年、歴史家はこの小路がデルフトのどこにあるのかを特定しようとしてきたが、まだ判明していない。おそらく、フェルメールが想像力を持って現実を再構築したのだろう。
(以上)

実際拝見すると・・

水路を伝って流れてくる水泡までもが丁寧に描かれており、

そうやって細部を丁寧に描くことにより、

その場の空気感を永遠に閉じ込め、観覧者をあたかもその場に居るよう

な錯覚に陥らせるのはフェルメールの真骨頂なのですが

とくに彼の故郷オランダでこの絵画を見た時に

400年以上も昔のデルフトの日常も現在のオランダの日常も

そして私が日本の片田舎で過ごす日常も時間の本質は同じなのだ

・・・と感じました。

さてフェルメールについては日本でもよく彼の作品が公開されるので説明はいらないと

思いますが・・

今でこそ、
「17世紀後半にデルフトで活動した「オランダ絵画黄金時代を飾る「巨匠」である」

と考えられていますが、晩年の彼は絵画市場の価格

が急落した事から金銭的に困窮した晩年を過ごしており、

また、18世紀〜19世紀には彼の作品は全く忘れ去られていたそうです。

フェルメールという魅惑的な響きも 英語風には Vermeer (ヴァーミア)と発音さ

れるとなんだか魅力半減ですよね・・

そのフェルメールを再評価したのは

フランスの美術評論家のトレ・ビュルガーで、今から百年前の事。

そう思って見てみると

美術品の価値基準は何とも主観的でかつ時代とともに移ろいやすく

(美術品のみならず)自分は如何に様々な時代的偏見でものを見ているのか・・

思うのでした。

さて、この2Fの「名誉の間」

なぜ「名誉の間」かといいますと、そう1600〜1700年

いわゆる17世紀はオランダ(ネーデルランド共和国)が世界の覇者として君臨した

富と繁栄の時代だったからです。

その繁栄の時期は正確には1602年の東インド会社設立から

1672年に共和国がフランス・イギリス・ミュンスター・ケルンの連合軍に侵略される

までの70年間。

(世界史の教科書を見ますとオランダの繁栄の終焉は英蘭戦争に敗北した1674年と

記述してありますが、現地で購入した公式ガイドには

ネーデルランド共和国の厄災の年は1672年と明記されています。)

そしてその共和国の黄金期に束縛を解かれた文化・芸術が発展したのです。


その黄金時代の共和国の絵画史を担ったのは

レンブラント、ヨハネス・フェルメール、

フランス・ハルス、ヤン・ステーン

等の巨匠・・

こちらレンブラントの「夜警」

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そして17世紀のオランダでは絵画は決して

特殊な階級の人々のものでなく平凡な市民も大いに絵画を欲し所有したのです。

17世紀にオランダを旅した人の手記には

ネーデルランドの平凡な市民が所有している絵画の数の多さに驚いた感想

が残されています。

家財一覧表によれば、

裕福な市民の家には数十ないし数百にのぼる絵画が飾られていたとか

芸術家のパトロンはカソリック教会ではなく

肖像画を依頼する余裕のある市民・商人・ヘレント(都市貴族)

であったといいます。

このようにして17世紀オランダの画家は作品を量産し、

その作品数少なく見積もって数百万点と言われています。

また、成功した画家が若い世代に技法を伝授する事業も手がけていた事も、この環境に

拍車をかけたとか・・

かのレンブラントは50名以上の弟子に絵画技法を伝授したと言われています。

(レンブラントについてはまたの機会に書くとしまして・・)

改修を終えたアムステルダム国立美術館の館内を

もう少し、ご紹介しますと・・

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隅々まで、空調が行き届き快適な室温にコントロールされ快適でした。

(これって世界中の大きな美術館・博物館でも希有だと思います。)

作品に酔いそうになることなく心地よく展示され、

内装を得意とするフランスの建築家、ジャン=ミシェル・ウィルモットによる

控えめなデザインを採用したグレーの壁は往時にカウバースが採用した色鮮やかな内装

とは対照的ですが、美術品そのものを引き立てているように感じました。

さすがに10年間・・いかに見やすく快適にとの改修を経ただけの事はあります。

カフェもミュージアムショップもスタイリッシュで素敵でしたよ。

最後に・・

通常はその国を代表する美術館や博物館を訪れると

(ルーブル美術館や大英博物館など・・)

その国の隆盛時代を思い知るのですが、

ここオランダでネーデルランド共和国の隆盛時代を思い知ったのは

図らずも、前日の夜の運河ディナークルーズの時でした。

船の豪華さや雰囲気ではそれはセーヌ川のバトー・ムッシュやヴェネツィアのゴンドラ

には勝てませんよ・・

でも・・
船がアムステルダム駅前の発着所から出発して

港に出た時・・

(写真でうまく伝わらないのがもどかしいのですが・・)

見た事がないくらいの様々な種類の船(絶対名前を言えない)が

様々なスタイルでクルーズを楽しんでいる様子が圧倒的に美しくて思わず子供たちと歓声をあげてしまいました。。

本当に今までの人生でこんなに色んな船(数ではなく)を

一度に見たのは初めてでした。

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港の直ぐ脇でコンサートが・・
すごい盛り上がりです・・
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さすが、17世紀の海洋国家、世界の覇者・・!!

と親切で優しいアムステルダム人にすすめられるままに(飲めないのに)

ワインを飲んで飲んで飲んで・・・・・・

こののち記憶がなかった私でした・・

決して古くさくなくデザイン性の優れた機能的なものに溢れ、

清潔で美しく人々は偏見なく旅人を受け入れてくれる・・

アムステルダム、大好きです!

10年改修を終えたアムステルダム国立美術館、

ぜひ皆様も機会あれば足を運んでくださいね。


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by artstable67 | 2015-09-23 12:06 | アート
ART FAIR ASIA FUKUOKA 2015
福岡初のアートフェアに来ています。
福岡 はもとより、東京、関西、名古屋、そして韓国から合計27のギャラリーが出店しています。
客室のみならず
ベットや浴室、すべてが展示の空間になっていました。
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天神のソラリアホテル11階の客室フロアーを貸し切ってあり…
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それぞれの客室の中が、ギャラリーの展示室になっています。
こちらは、お誘いいただいたけやき通りのギャラリーモリタさんのブースの様子です。

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ギャラリーって敷居が高いと思われがちですが、このような機会だと、気軽に拝見できてとても楽しかったです。

明日まで、ソラリアホテルの11階ですので、お買い物やお食事のついでにぜひいらしてみてください。

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by artstable67 | 2015-09-05 14:15 | アート | Trackback | Comments(0)
  

食空間プロデューサーの山野舞由未です。福岡市内で紅茶とテーブルセッティングの教室を主宰
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