名古屋でのサロンオペラコンサートへ行ってきました。
会場となった レストラン「le Grande de KITAMURA」は名古屋市内の主税町(ちからまち・・と読みます。)にあります。
この町名は・・
名古屋城の築城に伴い、青洲から名古屋に都市を移した所謂「青洲越え」の折に勘定奉行の野呂瀬主税という人が初めて住んだ地だったことから名付けられたとか。
その歴史的建築物も多い落ち着いたお屋敷街の一角にある中部電力会長のお宅を改築したレストランが会場でした。
こちらがレストランの入り口です。
玄関先に椿の花が・・
まずは元ミクニ名古屋にいらしたシェフによる御料理を頂きました。
いよいよサロンコンサートが始まります。
此の夏のプッチーニ音楽祭でジャンニ・スキッキを演じたばかりのバリトンの宮本
史利さんのジャンニ・スキッキをもったいないくらいのかぶりつきの席でお聴きでき・・・本当に感激でした。
プッチーニオペラの「ジャンニ・スキッキ」はラウレッタの「私のお父さん」というアリアが有名です。
オペラに詳しくない方でもお聞きになれば「あ、聞いたことあるわ」と思われるはずです。
2年前のイタリア旅行から帰国した後、
フィレンツェを舞台にした映画「眺めのいい部屋」を見たのですが・・
最初に「私のお父さん」のアリアから始まって・・
映画のラストで「ああ。。だからお父さんだったんだ〜〜!」と納得したことを覚えていたのですが・・
実は・・
「ジャンニ・スキッキ」原作はダンテの「神曲」の第一部の地獄編。
その中にダンテの親戚をだまして地獄に落とされた男のことが短く記録されているのですが、それを作曲家プッチーニと台本作家ファルツオーノの手によって楽しいオペラに生まれ変わったのが「ジャンニ・スキッキ」
プッチーニ三部作の三つ目のオペラでその中でも最も評価が高く親しまれています。
ダンテの神曲と言えば・・
フィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂のギヴェルディの手による「天国の門」と
東京の国立西洋美術館にあるオーギュスト・ロダンの「地獄の門」を思い起こされると思いますが・・
ギベルディの「天国の門」も後々ミケランジェロが「まるで天国の門のようだ〜」と言ったからそのように定着しているとか__・・
また国立西洋美術館にある「地獄の門」はオーギュト・ロダンがパリの装飾美術観のために作成したもので、フィレンツェの「天国の門」の構成にならって作成したものですが・・
最初はダンテの「神曲」の地獄編をモチーフにしていたこの作品も次第にボードレールの「悪の華」的世界観(人間が現世に作り上げた地獄)の様相を帯びてきたとか・・。
次回、国立西洋美術館へ伺ったら今一度、見直してみようと思いました。
「神曲」のモチーフはダンテのフィレンツェ追放とベアトリーチェに対する叶わぬ恋心なのですが、
(いつでも芸術の原動力は失意と叶わぬ恋なのですね・・)
この「神曲」はラテン語でなく「トスカーナ語」で書かれたことから広く読まれ、「神曲」の中で現代イタリア語としての体系も完成して行きます・・
ダンテの「神曲」ひとつとっても、
ルネサンスという時代は(そしてフィレンツェという町は)映画やオペラのモチーフに繰り返し使われ、普遍性を湛えるキャパシティーを内包する時代(町)なのだと改めて思いを馳せました。
あ・・
話をコンサートに戻しますね・・
ピアノを弾く斉藤優奈さんはミラノ スカラ座のピアニスト・・
力強く迫力ある演奏には流石というほかなく・・
ソプラノの服部響子さんが「ラ・ボーエム」のムゼッタの「私が歩けば・・」のアリアを歌われた時は
昨年の夏のミラノスカラ座の「ラ・ボーエム」を思い出し、胸がいっぱいになりました。
写真、右端から
バリトン 宮本史利さん
ソプラノ 服部響子さん
主催の 萬年順子さん
私
友人のMさん
ピアニストの斉藤優奈さん
萬年マダムそしてご一緒してくださった皆様、新年に相応しい華やぎの時間を有り難うございました。
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