今年の歌舞伎初めは歌舞伎座から。。

実は昨年3月よりほぼ1年ぶりの歌舞伎座でした。
直前のチケット手配でしたので、花道近くや西の桟敷席はとれませんでしたが、
東の桟敷席。

歌舞伎座の桟敷席は広々としていて足も伸ばせ
お弁当もお席まで持ってきていただけて、
ゆったりと観劇する事ができて本当にお薦めです。

さて、演目ですが
私が観劇しましたのは夜の部でしたが、
一幕目は
「熊谷陣屋」
こちらも繰り返し演じられる演目ですが、
数ある平敦盛ものの中の1つ
と考えていただけたらいいかと思います。
平敦盛は平家きっての美少年。
しかも、横笛の名手で風雅な人であるのに16歳で一ノ谷の戦いで
熊谷直実の手にかかって討死します。
悲劇の美少年
の敦盛は物語のモチーフとして大人気で
あの織田信長が本能寺の変の折に
「人間50年...」と最期に舞ったのも敦盛
という謡曲でした。
史実では、一ノ谷の戦いで熊谷直実によって討たれるのですが、
この物語はフィクション。
義経の命により敦盛の代わりに我が子を打ち、その首を
義経があらためるという「首実検」、
我が子を手にかけた熊谷直実の苦悩と悲しみが見どころ
です。
「16年はあっという間…」と我が子と過ごした日々を思い涙しながらの
直実の引き込みは涙無くしては見る事ができません。
とはいえ…
新春早々首実検は、血生臭い…😭
と思ってしまったのも事実ですが…😭😭😭
しかしこれらが演じられている江戸時代は
封建社会であり、個ではなく家の存続こそが大義であり
仕える家が存続しなければ、
家来たちも存続できないので、
いわば、
お家ファーストの時代なのです!!
また、「寺子屋」の時も書きましたが、当時は子供が
元気に成長する事が難しい時代でしたので、
子を失った親が、嘆く親としての熊谷直実を見る事によって
カタルシスしていたのでした。
史実でも敦盛を手にかけた後、
熊谷直実は我が子のような若者を手にかけた事から
世を儚み、
仏教に深く傾倒し出家したそうです。
敦盛が生きているバージョンのこの物語は、
敦盛に生き延びていてほしいという後世の人々の
思い、敦盛人気から来たものです。
(いわゆる判官びいきの義経などは荒唐無稽なバージョンが沢山存在しますね。)
つぎの
「當る年祝春駒」
さてこちらの
曽我兄弟の話も、江戸時代の価値観を理解しなければ
理解が難しいかもしれません。
江戸時代もそして歌舞伎の世界は今でも
新春といえば曽我もの‼️
それは
年末といえば忠臣蔵!
と同じだっだと考えてください。
どちらも「敵討ち」の物語ですが、敵を打った曽我兄弟も討死したり、
打ち首になったりするのですが、
立派に親の仇を討って、封建社会の秩序を守った
曽我兄弟は、2人を祀る神社もあり、
ヒーローを超えて、
神のような存在で
あり、特に弟の方は血気盛んな若者であった事から
江戸歌舞伎に大変好まれる題材になったようです。
新春らしく華やかな舞のあとは、
「名月八幡祭り」
こちらは、玉三郎さまの
深川芸者ぶりがいつもの姫君や艶やかな舞では見られない、
江戸の下町芸者のデカダンス。
そして。
玉三郎さま演じる美代吉を巡る三者三様の男たちが
とても興味深いのです‼️
遊び慣れた粋な武士の藤岡
(手切れ金の払い方までスマート、花街の遊び方のお手本のような彼!)
どうしようもないクズなのだが魅力的なヒモの船頭三次
そして、
新潟から商いに来ている純朴でウブすぎで遊び方も知らず美代吉に翻弄される縮屋新助
ちょっとカルメンにも似たこの物語の悲劇的ラストは
ぜひ足を運んでご覧ください💖
(私は河竹黙阿弥の七五調バージョンが見たかった😭)
江戸時代のアイデンティティーとデカダンスそして美意識を歌舞伎を通して堪能した夜でした。
(追記)
今日は、目出度い焼きでなく
歌舞伎モナカアイスを頂きました😊
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