夏休みにアムステルダム国立美術館を訪れました。

アムステルダム国立美術館は2004年からなんと改修に10年の月日をかけて昨年
再オープンしたばかり・・
世界中の美術愛好家がそのグランドオープンを待ち望んでいました。
何故そんなに改修に月日がかかってしまったのかはこれまた昨年公開された
ドキュメンタリー映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」
に記録されているそう・・
(公開される映画館も期間もとても限定されていたので未だ見ておらず・・)
そんな曰く付きで
しかもあのフェルメールの3作品やレンブラントの「夜警」が見れるとあって
こちらは今回の短いアムステルダムステイの中でも絶対行きたいスポットでした。
9時開館ですが、美術館は朝が命!
で8時半から並びました・・

入り口は2カ所あり、こちらは予約券を持っていない観覧者用・・
まだ3人しか並んでいません。
最初の写真の美術館の建物の真ん中は歩道と車道そして自転車道になっており
自転車がすごいスピードで美術館の真下を突っ切って行きます・・
なんでも、改修が遅れた理由の一つに自転車っ子のアムステルダム人が
「こ〜んなところに美術館があったら自転車が通れな〜〜い!!」
と反対したからだとか・・
美術館の真下を十分にびゅ〜〜んびゅ〜〜ん突っ切って行かれていますが・・
午後にはヴェローナへ飛ぶため、とにかく時間がないので
開館と同時に
目指したのは2Fの
「名誉の間」
こちらは1600年から1700年・・
いわゆるオランダが隆盛 をきわめたころの作品
が展示されているフロアーになります。
アムステルダム国立美術館は年代別に作品が
まとめられており、大変見やすいのです。
これも10年改修の賜物とか・・
このフロアーに入ってすぐ左手に・・
「ありました!」

フェルメールの「牛乳を注ぐ女」
ちょっと感動です・・
想像していたより、ずっと満ち足りた表情に見える彼女・・
床に落ちている小さなパン屑や壁に刺さっている釘などが丁寧に描かれていて
彼女が牛乳注ぐ音が聞こえてきそうです。
この平凡な日常の一こまの空間に足を踏み入れたような錯覚を感じます・・
こちらは「恋文」
おもっていたよりずっと小さな作品である上に、絵画のほとんどの部分が陰なので、
小さな二人の人物の様子をこっそり盗み見しているような気分になります。
最後に・・

フェルメールが残した数少ない風景画の一つ「小路」
以下「アムステルダム国立美術館 公式ガイドより抜粋」
〈デルフトの家の眺望〉という名でも知られる本作品は、17世紀の絵画において異質な存在である。
フェルメールは特定な建物を書く代りに、場所の特徴を描かずに、無名な場所を取り上げている。
また、大都会の慌ただしい情景を描いた訳でもない。
本作品は、曇った日の静かな小径の印象をそのまま表現している。家の右側や規律真屋根の上部が絵の枠からはみだした構図を用いる事により、ありふれた情景という印象を強めている。一見しただけでは、この小路に働く人々に気がつかないかもしれないが、良く見ると、一人の女は戸口に腰掛け、裏庭に続く通路には女中が二人の子供が遊んでいる。崩れそうなアーチや建物正面にはっきり見受けられる修復箇所等のリアルなデティ−ルが、この場面の印象をより強くしている。
長年、歴史家はこの小路がデルフトのどこにあるのかを特定しようとしてきたが、まだ判明していない。おそらく、フェルメールが想像力を持って現実を再構築したのだろう。
(以上)
実際拝見すると・・
水路を伝って流れてくる水泡までもが丁寧に描かれており、
そうやって細部を丁寧に描くことにより、
その場の空気感を永遠に閉じ込め、観覧者をあたかもその場に居るよう
な錯覚に陥らせるのはフェルメールの真骨頂なのですが
とくに彼の故郷オランダでこの絵画を見た時に
400年以上も昔のデルフトの日常も現在のオランダの日常も
そして私が日本の片田舎で過ごす日常も時間の本質は同じなのだ
・・・と感じました。
さてフェルメールについては日本でもよく彼の作品が公開されるので説明はいらないと
思いますが・・
今でこそ、
「17世紀後半にデルフトで活動した「オランダ絵画黄金時代を飾る「巨匠」である」
と考えられていますが、晩年の彼は絵画市場の価格
が急落した事から金銭的に困窮した晩年を過ごしており、
また、18世紀〜19世紀には彼の作品は全く忘れ去られていたそうです。
フェルメールという魅惑的な響きも 英語風には Vermeer (ヴァーミア)と発音さ
れるとなんだか魅力半減ですよね・・
そのフェルメールを再評価したのは
フランスの美術評論家のトレ・ビュルガーで、今から百年前の事。
そう思って見てみると
美術品の価値基準は何とも主観的でかつ時代とともに移ろいやすく
(美術品のみならず)自分は如何に様々な時代的偏見でものを見ているのか・・
思うのでした。
さて、この2Fの「名誉の間」
なぜ「名誉の間」かといいますと、そう1600〜1700年
いわゆる17世紀はオランダ(ネーデルランド共和国)が世界の覇者として君臨した
富と繁栄の時代だったからです。
その繁栄の時期は正確には1602年の東インド会社設立から
1672年に共和国がフランス・イギリス・ミュンスター・ケルンの連合軍に侵略される
までの70年間。
(世界史の教科書を見ますとオランダの繁栄の終焉は英蘭戦争に敗北した1674年と
記述してありますが、現地で購入した公式ガイドには
ネーデルランド共和国の厄災の年は1672年と明記されています。)
そしてその共和国の黄金期に束縛を解かれた文化・芸術が発展したのです。
その黄金時代の共和国の絵画史を担ったのは
レンブラント、ヨハネス・フェルメール、
フランス・ハルス、ヤン・ステーン
等の巨匠・・
こちらレンブラントの「夜警」
そして17世紀のオランダでは絵画は決して
特殊な階級の人々のものでなく平凡な市民も大いに絵画を欲し所有したのです。
17世紀にオランダを旅した人の手記には
ネーデルランドの平凡な市民が所有している絵画の数の多さに驚いた感想
が残されています。
家財一覧表によれば、
裕福な市民の家には数十ないし数百にのぼる絵画が飾られていたとか
芸術家のパトロンはカソリック教会ではなく
肖像画を依頼する余裕のある市民・商人・ヘレント(都市貴族)
であったといいます。
このようにして17世紀オランダの画家は作品を量産し、
その作品数少なく見積もって数百万点と言われています。
また、成功した画家が若い世代に技法を伝授する事業も手がけていた事も、この環境に
拍車をかけたとか・・
かのレンブラントは50名以上の弟子に絵画技法を伝授したと言われています。
(レンブラントについてはまたの機会に書くとしまして・・)
改修を終えたアムステルダム国立美術館の館内を
もう少し、ご紹介しますと・・

隅々まで、空調が行き届き快適な室温にコントロールされ快適でした。
(これって世界中の大きな美術館・博物館でも希有だと思います。)
作品に酔いそうになることなく心地よく展示され、
内装を得意とするフランスの建築家、ジャン=ミシェル・ウィルモットによる
控えめなデザインを採用したグレーの壁は往時にカウバースが採用した色鮮やかな内装
とは対照的ですが、美術品そのものを引き立てているように感じました。
さすがに10年間・・いかに見やすく快適にとの改修を経ただけの事はあります。
カフェもミュージアムショップもスタイリッシュで素敵でしたよ。
最後に・・
通常はその国を代表する美術館や博物館を訪れると
(ルーブル美術館や大英博物館など・・)
その国の隆盛時代を思い知るのですが、
ここオランダでネーデルランド共和国の隆盛時代を思い知ったのは
図らずも、前日の夜の運河ディナークルーズの時でした。
船の豪華さや雰囲気ではそれはセーヌ川のバトー・ムッシュやヴェネツィアのゴンドラ
には勝てませんよ・・
でも・・
船がアムステルダム駅前の発着所から出発して
港に出た時・・
(写真でうまく伝わらないのがもどかしいのですが・・)
見た事がないくらいの様々な種類の船(絶対名前を言えない)が
様々なスタイルでクルーズを楽しんでいる様子が圧倒的に美しくて思わず子供たちと歓声をあげてしまいました。。
本当に今までの人生でこんなに色んな船(数ではなく)を
一度に見たのは初めてでした。
港の直ぐ脇でコンサートが・・すごい盛り上がりです・・



さすが、17世紀の海洋国家、世界の覇者・・!!
と親切で優しいアムステルダム人にすすめられるままに(飲めないのに)
ワインを飲んで飲んで飲んで・・・・・・
こののち記憶がなかった私でした・・
決して古くさくなくデザイン性の優れた機能的なものに溢れ、
清潔で美しく人々は偏見なく旅人を受け入れてくれる・・
アムステルダム、大好きです!
10年改修を終えたアムステルダム国立美術館、
ぜひ皆様も機会あれば足を運んでくださいね。
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